宣言す。


今日は思い出を書きます。すこぶるウェットです。
長文ですので、結論……というか何があったか知りたい人は最後のほうにスクロール・ダウン・プリーズ。




僕の漫画人生は、高校時代に始まったと言っていいでしょう。
それまで趣味以下の範囲で漫画っぽいものを描いてましたが、高校に入学して漫画研究会に入ってから、漫画家になりたいという夢を持って、サークルの連中と本格的な切磋琢磨が始まりました。
その頃、真面目に漫画に取り組んでいたのは、僕の同級生のかとまんと、3つ上の先輩、K-TAKA氏と怒著氏。
お? 誰かおかしいと思ってくれましたか?
高校は1〜3年まで。3つ上の先輩と言うと、高校4年生になります。
K-TAKA氏と怒著氏は予備校に通いながら、土曜日だけサークルに顔を出す、OBでした。
もちろん、間に2年も3年もいます。
でも何故か、特に仲良くなったのは、かとまんとK-TAKA氏と怒著氏の4人でした。


その4人の中で、一番プロ志向だったのは、K-TAKA氏。
予備校に通ってはいたものの、1浪で迎えた大学受験は失敗。
K-TAKA氏は、一念発起。2浪生活を完全に捨てて、漫画専門学校へ入学。
言うのは口幅ったいのですが、『進学校』と言われていた我が熊谷高校の卒業者は、当時ほぼ100%の卒業生が、(6割が浪人を経て)大学進学していた中での、専門学校進学。
並々ならぬ意思が、彼にはあったと思います。
……ですが、彼は専門学校卒業後、漫画家になることはありませんでした。
夢半ばにして、亡くなってしまったのです。
我々の中で一番、プロに近い、と言われていた彼が亡くなった時、
残った3人の中の誰もが、
残った3人の中の誰かが、
代わりにプロにならなくちゃならないと十字架を背負った1993年、春。


K-TAKA氏の遺作を一冊の同人誌にまとめ、コミケに初参加したのは、1993年の冬だったかと思う。
浪人だった僕は会場には行かなかったけど、現役で既に大学生となっていたかとまん、
やはり1浪を経て大学生になっていた怒著氏、
K-TAKA氏と怒著氏の予備校時代の友人・NAL氏、
(あと、今は音信不通になっている竹下隅智氏というひとつ上の先輩、)
で、K-TAKA氏の遺作同人誌を頒布して来た報告を聞いて、愕然とした。
全く売れなかったんだ。
当然と言えば、当然のこと。
しかし、ショックだった。誰にも、K-TAKA氏の存在を、知ってもらえない。


晴れて大学生となった僕を加えた仲間達は、
K-TAKA氏の遺作同人誌を売るために、名を売ろうと、同人活動を本格的に始めた。
その過程で、『少年チンプ』という二次創作ギャグサークルの方々と仲良くなり、
僕らの同人誌も認知されるようになり、
しかし、
やはりK-TAKA氏の遺作集は、売れなかった。
いつの間にか、ミイラ取りがミイラになった。
K-TAKA氏の遺作集を売るより、二次創作で馬鹿な漫画を描くことが、本格的に楽しくなってしまったのだ。
そして怒著氏が、NAL氏が、かとまんが、僕より一足先に大学を卒業し、就職した。
皆、同人活動をする社会人になった。
「ずるいよ」
僕は口に出して言わなかったけど、
K-TAKA氏の夢――プロ漫画家になる――の十字架が、
僕だけに任されたような気がした。


ここでひとつハッキリ言っておきたい事は、僕はK-TAKA氏の十字架の為だけに、プロを目指したわけじゃない。
漫画は同人誌のほうでしてるから、と、大学では僕は文芸部に入った。
ここにもプロを目指す先輩がいた。
(事実、今プロ小説家の先輩がいる。)
僕は二次創作に飽き、小説にしろ漫画にしろ、創作そのものの楽しさに目覚めていた。
……いや、思い出していた。
偶然、大学で出会ったオオシマヒロユキという相方を得た僥倖もあり*1、僕は就職をやめた。
あの就職氷河期に、やっと貰っていたたったひとつの内定を蹴り、僕は98年から漫画アシスタント専業となった。
二次創作同人活動からは、距離を置いた。


オオシマとコンビ漫画家を始めた話は、ちょっと端折る。


僕が漫画の原作を始めようとしたのは数年前。
オオシマではない絵描きを求めた時に、僕は怒著氏に相談したことがある。
怒著氏は、サラリーマンにしておくには勿体無い、素晴らしい絵を描く人だった。
ストーリーのセンスも良かった。
僕は怒著氏に、僕の原作で漫画を描かないか、と持ちかけた。
詳しいことは省くが、年間50枚という実に緩いペースの仕事の依頼をしたんだ。
しばらく悩んだあと、怒著氏は返答した。
「出来ない」と。
サラリーマン生活が長い、
今の生活を崩せない、
と。


そんな怒著氏が、昨年転職した。
「やりたいことがあるんだ」
詳しいことは聞かなかった。直接話したわけじゃなくて、メールで来た話だったから。
じゃあ、今度会った時、その話聞かせてくださいよ。
「うん、まぁ大したことじゃないよ」
そっすか。でも、転職ってのもけっこう冒険ですよね?
「ああ。正直、お前の原作に絵を描いてくれって話、アレも頭を過ぎったんだけどな(笑)」
――やっぱりこの転職を選んじまった。そう彼は笑った。メールで。


今年、僕は漫画原作者として再スタートを切った。
怒著さんに僕はメールした。
チャンピオンで連載始まりますよ!
『悪徒―ACT―』、連載第一回の直後、彼は興奮した様子の長文メールを送ってくれた。
ページ単位の細かな感想、意見、妄想。
たぶん、僕の身の回りで一番、今回の連載を喜んでくれた人だ。
たぶん、僕の身の回りで一番、面白がってくれた人だ。
そして、僕の身の回りで一番、嫉妬してくれた人だ。
僕の創ったストーリーに対しても、
横島さんの素晴らしい絵に対しても。
なぜチャンピオン誌上に猪原の名前があって、その隣に横島さんがいて、自分はそれを読むだけなのだ?
でも、すげぇ面白い!
彼の矛盾に満ちた感想メールは、その後、度々もらった。


先々週はメールが来なかった。
忙しいのかな? 転職後相当忙しい噂を聞いていたから、むしろ毎週メールをくれるほうが難しい。
それでもきっと読んでくれている。


先週もメールは来なかった。
さすがに飽きたのかな? 僕は苦笑した。


昨日、NAL氏から電話があった。
「怒著が亡くなった」




しばし、思考の空白。




もう、怒著さんに『悪徒―ACT―』を読んでもらえない。
日々の生活に追われて漫画道をフェードアウトしてしまい、しかし
「ああ。正直、お前の原作に絵を描いてくれって話、アレも頭を過ぎったんだけどな(笑)」
頭の片隅に漫画家への夢、
背中に僕と共に背負ったK-TAKAさんの十字架、
それを忘れずにいた僕の戦友。


陽虎と益龍。
状況は違えど、二人は僕と怒著氏とに、今、妙にシンクロしている。


――僕は、2本目の十字架を背負う。*2
『悪徒―ACT―』は、これからどんどん面白くなる。
怒著さんに読んでもらえないのが、残念だけど。
もっと多くの人に、読んでもらう。


でも、僕は考える。
「やりたいことがあるんだ」
それ、何だったんだろうって。


僕は、あなたの為に、もう、『俺たちの明日』を歌えないんだって。

*1:完全な余談だが、僕は高校の時、かとまんと一緒に部室でジャンプ季節スペシャルを読んでいた。そこには僕らより一つ年下の、オオシマが描いた漫画が載っていて、彼は自己紹介の欄に「高校生なのにデビューしちゃいました」と言う主旨のコメントをしていて、僕らはFuck! 生意気な! うらやましい! と怨嗟と羨望の叫びを上げた。どうします? コイツ。と怒著さんやK-TAKAさんに今からまさに闇討ちせんとする相談を持ちかけたかどうかは、覚えていない。よもや数年後、同じ大学の同じ教室でオオシマと出会う事になろうとは、当時の僕は予想だにしていなかった。

*2:本当は3本目。2本目はmonsun5だ。でも、主にこちらの十字架はオオシマが背負ってくれている。